4/30サンパチ ザ・平成最後の日報
AM
娘高校送迎
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出社
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有料老人ホーム サービス担当者会議
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支援経過記録
PM
自宅モニタリング
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被後見人面談
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サービス付き高齢者向け住宅モニタリング
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支援経過記録
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娘高校送迎
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帰宅
【今日のいいこと)
平成最後のサンパチ日報ということで、急遽社員から書けと言われ、令和になって2日過ぎてから書いている管理者の小泉です。
私なりに平成を簡単に振り返りますと、仙台の福祉系専門学校ビジネスコースを卒業後、何の資格も取らないまま、何の目的も持たず東京へ。
1.2年居酒屋でアルバイトした後、帰省。地元の老人保健施設へ入職し入所介護職員(無資格)として介護業界のキャリアをスタートさせました。
現在の介護観の基礎となる貴重な経験を積み、介護副主任まで務めさせてもらいましたが、平成14年井の中の蛙となることを恐れ、外の世界を見るために退職、八戸市内の高齢者グループホームへ入職。管理者兼計画作成担当者として勤務し、平成23年同社にて有料老人ホームの立ち上げに関わり施設長として勤務し、施設運営、人事管理、財務管理など貴重な経験をさせてもらい、諸団体での活動やフェイスブック、ブログなどを通じ、多くの方々とのつながりをもつことができましたが、とあるきっかけで、組織における管理職としての無力感、将来的に居場所も自己成長もなくなると予見し、気がつくと退職の運びとなりました。兼ねてから、独立心は殆どありませんでしたが、周りにいる独立開業し活躍している先輩方と仲良くしてもらっていたためか、ダメもとで自分もチャレンジしてみたい、ダメなら、居酒屋や工事現場でアルバイトしよう、それでダメならサラリーマンに戻ろうといった中途半端な気持ちで独立準備に入りました。
準備といっても1人事務所ですので、法人を作る(登記する)ことと、事業所指定をとること、物件を探すことくらいのものでした。
物件探しには少し手間取り、アパートでも借りて始めようかと思っていた矢先にたまたま通りかかった貸事務所の看板にすぐさま電話し即決しました。場所も家賃もラッキーな出会いでした。「子供2人もいるのに急に会社辞めて独立するなんて!」
「ひとりで独立したって、なんの後ろ盾もなければ、お客さんは来ないんでしょ」
といった声も聞かれました。ましてや、居宅のケアマネジャーなどやったこともありませんでした。いざ、独立してみますと、ポツポツとお客さんを紹介していただきながらも、少しでも収入を得るため、グループホームでケアマネとしてアルバイトをしたり、介護初任者研修やケアマネ受験講座の講師のアルバイトをしました。
独立開業した平成28年8月の担当利用者は1名だけでした。
そうこうしているうちに、
「うちの有料老人ホームに入居するんだけど」
「うちのケアマネジャーが辞めるから」
「うちはもういっぱいで担当できないから」
「利用者がケアマネを変えたいと言ってるから」
などと紹介をいただくことが多くなり、結果、すぐに忙しい日々となりました。
1年後、担当利用者は37名となりました。
医療法人の外部理事やサービス付き高齢者向け住宅の介護顧問もさせていただくようになりました。
人のつながりに恵まれ、とてもラッキーだったと思います。当初は、一人事務所で、人間関係の煩わしさもなく、何のしがらみもなく、いろいろなことにチャレンジしながら、1人で気楽にのんびり働いていきたいと考えていました。
が、実際はその正反対で、担当利用者が30人になったあたりから、残業、休日出勤が増え、利益もさほど上がらず、ケアマネ業務だけでとにかく多忙な日々となりました。
「給料半分、残業5倍」
といった状態で、残業で日をまたぐこともしばしばでした。
プライベートの時間も減りました。ただ、不思議なことに、それほど苦ではありませんでした。
やはり、自分の意志で仕事をしていることと、人間関係の煩わしさがなかったことが大きかったと思います。前職施設長時代は決して知り合うことのなかった多くの人々、行くことのなかった場所、経験することのなかった多くのことを経験することができましたので、ある程度の充実感が常にありました。これはお金には代えがたいものだと思っています。
「キミは今、人にとって『お金』より大切な『信用』をためてるんだから、大丈夫だ」
とある人に言われ心に残っている言葉です。独立して1年程たった時、
「このままでは時間に追われ普通のケアマネで終わる」
「社会福祉士として何にもチャレンジできずに終わる」
「このままではハードワーキングプアになってしまう」
「社員を雇用してこそ初めて経営者といえる」
といった思いを抱くようになり、社員採用のための求人公開に踏み切りました。
もちろん、2人ケアマネでは意味がないので、3人体制での特定事業所加算取得を目標にしました。「知り合い多いからすぐ見つかるでしょう」
といったありがたい声を尻目に、半年もの間、採用することができませんでした。その間、利用者数も増やせず、ただ慌ただしい日々を足踏みすることになりました。半年ほどかけて、ようやく、サンパチっぽい、感じの良い人材を採用することができました。大方の予想に反し、まったく知り合いではない知らない人でしたが、驚くほどすぐサンパチにも関係各位にも馴染んで、サンパチに欠かせない人になってくれました。
そしてそこから新規利用者獲得のための日々が始まりました。
シュミレーションでは1年以上かけて30名程度の利用者を新規受け入れする予定でしたが、半年程度で30名程度新規担当することができました。この時も、人のつながりに恵まれ、とても幸運でした。1人目の採用と同じミスは犯すまいと、2人目は早めに求人公開をしましたが、採用は難航し、ここでもやはり半年ほど経過し、ハローワークの求人公開期限が切れ、取下げとなった翌日に外勤から事務所に戻ると、なぜか以前からの知り合いのとある人物がアポなしで待っていました。
初の訪問で何事かと思いましたが、話を聞くとサンパチに興味があることがわかり、そこからトントン拍子に今年4月の採用が決まりました。ケアマネジャーのみならず社会福祉士と精神保健福祉士を持ち、多様な職種を経験していて、温厚で優しく実直な人柄で、以前から好印象を抱いていた人物でした。
「公務員からなぜサンパチへ???」
と、皆が疑問に思い、採用した私自身未だに謎ですが、今後少しずつその謎が説かれていくことでしょう。こうして、3人体制のサンパチとなり、目標にしていた特定事業所加算も予定より早く算定することができました。
一人ケアマネ時代より、ケアマネジメントの幅も深さも質も向上していると実感しています。管理者の自分が言うのはかなり嘘臭いですが、何より毎日笑えます。
冗談では部下を平気で売りますし、「社長」のことも平気でディスってきます。根本的な人間性と価値観、ケアマネジャーまたは社会福祉士としての基盤は共通していますが、似ているようで似ていない3人、これは奇跡に近い組み合わせだと、これまた嘘臭い話ですが、少し本気で思っています。
仕事には厳しさとスピードを持って臨みますが、それ以外の部分では、厳しめにふざけ合って仕事をしています。
少数精鋭で、お互いが刺激し合い、時にはディスリ合いながら、高め合う。なるべく普通の事務所らしくない事務所を目指しています。
自分に何かあっても、皆でフォローし合い、利用者の生活に影響を及ぼすことのないような体制となり、いつまた足の靱帯を断裂しても大丈夫という安心感も大きいです。
1人より2人、2人より3人が絶対にいいと思えるのは、やはり、この2人が揃ったからこそだと思います。安心して仕事を任せ、安心して自分の仕事に集中し、新しいチャレンジができる、そんないい雰囲気がしています。
責任をもって成長を助け、責任をもって守っていきたいと思います。ということで、平成も終わり良ければ総て良し。
なかなか良い平成でした。
令和に向けては、長年の夢であった5月の社員家族対抗BBQ大会の準備と、自分を捨てずに最後まで生きることに立ち向かう利用者さんたちのお手伝いで益々充実しそうです。サンパチに関わってくださった皆さま、平成は大変お世話になりました。
令和もサンパチをどうぞよろしくお願いします。